英語で話す場合も考えるのは思考言語

内語とは音声を伴わない自分自身のための内言語(inner speech)であり、主として思考の道具としての機能を果たします。外言語(oral speech)とは他人に向って用いられる音声言語であり、主として伝達の道具としての機能を果たします。英語通訳が日本語に訳す場合でも最初から整然とした日本語でなく、内語で理解しています。英語を聞いた場合でも内語で理解できていれば、いちいち日本語にする必要はありません。

ある程度英語文化圏での生活が長いと英語は理解できているが、上手く日本語で表現ができない場合がありますが、この場合も英語で理解しているのでなく、内語の思考言語で英語を理解しています。英語学習の本の著者が英語で考えるように勧める人が多くいますが、実際には内語の思考言語で考え、話す場合には日本語を介在させないで英語を思い浮かべろと言う意味です。日本人が誰かに「サンキュー」と言う時にほとんどの人が英語では考えていないと思います。一つの表現として「サンキュー」があり、場面を考えてベストな選択をしただけの事です。

英語を話す場合にはたくさんの「サンキュー」と同じように多くの英語の表現をたくさん覚えれば、状況に適した表現が訳さなくてもすぐに英語がでてきます。

言語と思考は非常に関係の深いものです。言葉がなければ難しいことを考える事もできません。人間が無言で考える場合でも何らかの言語を使って考えています。メリーランド大学の哲学教授のピーター・カラザーズ氏は言語学、神経科学、心理学の知識を動員して2002年に「言語の認知機能」の論文を発表しています。

この中でカラザーズ氏は「心の想起した文」によって、ひとつの認知モジュールからの表現を他のものからの表現と組み合わせる事ができると言います。それによって、新しい種類の意識的思考が生まれていると論じています。認知に流動性のある思考は論理形式(LF)と呼ばれる心の中の言語表現によって潜在意識で起きると言います。LFはもともとチョムスキー氏が言語と認知のインターフェイスを指すために導入した用語です。

彼の考えによると一部の言語的表象はLFのまま残りますが、一部は心に想起した文になります。この人間の思考の進化においても構成的言語の出現により人類の思考と行動に大きな影響を与えました。カラザーズは文法規則により、ひとつの認知モジュールで想起した文を別の認知モジュールで想起した文を入れ子にすることのより複雑な表現ができると言います。その結果、想起した文がひとつだけ作られ、そこからモジュール間を統合した思考が生まれると論じました。思考もこの言語の進化と共に複雑な事が考えられるようになり、構成言語と思考の深い関係がある事を論じています。音声認識や翻訳をする場合にも音声認識モジュールや翻訳モジュールが複数かつパラレルで作動すると考えると納得がいくように思われます。


日本語で話している時は思考言語で考えているのは間違いないのですが、英語を話すときにどうすべきでしょうか。やはり考えるのは思考言語で考えるしかありません。私は日本人が英語を話す時の英語と日本語の関係は利き腕と利き腕でない腕の関係と同じだと思っています。日本語が利き腕で英語が利き腕で無い腕となります。

野球のプロの選手には右投げで左打ちの打者がおりますが、打者は左の方が一塁に近い分だけ有利だからです。しかし、投手が右投げで左投げ、つまり両投使いの選手は今までにおりません。過去に2回ほど登録はされているようですが、実戦で投げた投手はおりません。肩は消耗しますので、疲労や消耗の問題だけから考えると両投使いの投手の方が有利になります。

しかし、プロの世界に今まで出現しなかったのは大きな理由があるからだと思っています。野球の投手の場合に消耗する事を考慮に入れても片方の腕を使い続けた方が得だと言う事です。脳には右脳と左脳がありますが、投げる動作をさせる場合にはどちらかに集中した方が負担は増えても、両腕で投げるのを練習するよりは投手としては得だと言う事です。数学的に考えれば消耗のマイナス効果よりは、集中練習のプラス効果の方が大きいと言う事です。

言葉は野球の投球よりも、ずっと難しい作業だと思います。それなら内語として英語と日本語を両方使うのでなく日本語に重点を置いた方が懸命です。英語を話すときに日本語を想起しないで英語を話すと言うのは英語で考えているのではありません。英語表現をたくさん覚えているだけです。英語を聞いて理解して、英語で話す場合でも意識の中で考えていますが、この場合に日本語で考えると言う事です。

内語とはパソコンで言えば基本ソフトのOSにあたるものになります。考え方としては脳の中を英語や日本語に区分けせずに、多くの日本語と英語の単語や表現を記憶して、お互いに関連性をつけておき、それらを統合し考え出す内言語は日本語でする事です。その裏で、現実的には思考言語が内言語として稼動しているのです。私は英語で考える事はできないし、考えようとするのも意味のない努力だと思っています

英語で考えろと言う人がいますが、日本人が英語で考えるのは、私には右手の利き手の人が無理して左を使うようなもので、考えが非常に幼稚で遅くなると思います。日本語を介在させないで英語のまま理解したり、英語で話す努力をしたりするのは良いのですが、考える思考のプロセスは思考言語で考えるしかありません。

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