英語の聞き分けと筋肉運動の記憶

音声の聞き取りに発音する時の筋肉を参考にするのでないかと言う、モーター・セオリーは根拠が無い事を説明しました。どうして英語は聞き取りが難しいのでしょうか。音を聞いてその意味を理解すると言うのはある意味の仮説処理になります。聞いた音をどの音声か判断して脳内に蓄えられているいろいろな事前知識に参照して、話者の意味を判断するもので英語だけで無く、日本語でも非常に難しいプロセスです。

音声認識システム開発の経験者からすると機械による音声認識をやってみると、実際に人間は音響的な音声の聞き分けがほとんどできてないと言うのです。日本語ならカナで英語ならアルファベットで無意味語というのを使いテストするのです。そうすると、機械による音声認識システムとくらべた場合、人間の認識能力はずっと低い結果になるそうです。人間の発する音声を聞き分けると言うのは非常に難しい事なのです。

音の区切りが難しいのですが、音が分離されても次の難関が音の特定です。音声は、早口でなくても、一般にはそれぞれの音がかなり崩れています。つまり同じ音であるはずの音も比較してみれば非常に不安定な音なるそうです。さらに音声認識システムでは、連続音なると組み合わせにより音が変わるという難問題も発生します。子音を認識するときには、前後の母音を考慮して認識システムを作らないと認識率が上がりません。同じ子音でも、母音でも環境で音響的には全く違うものであることが多いのだそうです。前後の母音や子音によって連続音になると全く違う音響特性となるそうです。

しかし本来音響的には全く違うものでも、人間の耳には認識時は同じものとして認識されます。それから、全く違う発音であっても、人間には同じに聞こえるというものが多いです。たとえば、日本語では、無声のハ行音と有声のハ行音があります。「本」というときの「ほ」と、「てほん」の「ほ」では、全く違う発音です。一方が本の場合は無声音で、一方手本の場合は有声音だそうです。

さらに面白い話として、特定個人の音声を認識するように訓練したシステムにおいて、特定個人の音声も数ヶ月でどんどん変化し、結局数ヶ月たつと、不特定話者の認識システムのほうが認識率はよくなったりします。つまり自分の発音も英語ネイティブの発音というのも数ヶ月の単位で大きく変化しているというのです。

結局、このように考えていくと音を音響的に聞いて判断するのは無理ではないかと考えたくなります。その考えから人間は、音響的に音声を認識しているのではなく、発音した事を記憶しておいてそれを参照すると言う考えがでたようです。

しかし、発音の筋肉運動と聞き分けを関連させて記憶するというのは多くの矛盾が存在します。

まず音響的に判断しないのであれば、聞いた事のない音は最初にどのように学習、認識するのでしょうか。まず筋肉が覚えるためにどれが正しい音だと選択できなければなりません。最初は音響的に学ぶとすればなぜ発音を覚えた段階になると発音したどうかの筋肉の動きを参照するのでしょうか。

音声は言葉としての意味だけでなく、怒りとか喜びのような情感も伝えることができますが、これは音響的にしか理解できません。情感が音響的に伝えることができるにもかかわらず、その音声の意味を筋肉の動きを参照するのは納得ができません。

日本語において関西弁を話せない関東、東北人でも、どんな早口の関西弁でも理解できます。自分が話せない発音の認識がどうしてできるのでしょうか。 例えば強いインド訛りのようなネイティブの発音とはかなり異なる発音をする人がどうして自然な発音を理解できるのか。 母語である日本語でも自分の言葉がまったく聞こえない状態で話していると調子が外れてくるのはどうしてなのか。筋肉の動きを覚えているならば音は安定するはずです。

我々はオウムのような人間とはまったく違った骨格、筋肉を持った他の動物の言葉を理解できますが筋肉構成が違うのに、どうして人間が 聞き分けることができるのでしょうか。

何と言っても最大の問題点は音声学的には、各音素には位置異音や自由異音が無限に存在します。このような無数にある異音を筋肉の動きをどのように認識しているのでしょうか。

人間の音声は単にコンテキストとなる意味だけでなく、感情や、性格や、年齢や、性別などいろいろな情報が与えられます。しかしもっとも重要な情報は音の特徴で自分の記憶にある音から類似の音の特徴を持つ音の流れを思い出し、前後の意味が通じるかどうかの判断がされるのではないでしょうか。オウムと人間は発声器官の違いからまったく違った筋肉の動きになりますが、音の特徴さえ上手く捉える事ができれば自分の記憶にある理解できる音を思い出すとすれば、オウムの言葉が理解できます。

こう考えると人間は発音ができれば聞き分けられると言うのは矛盾が多く存在し、とても正しい考えとは言えません。参考までに音声学の牧野武彦氏はBBSで次のように言っていました。「発音できれば聞き分けられるの方は、それこそ、位置異音・自由異音と音素の関係から見て、当然否定されます。煎じ詰めれば、発音することは運動に他ならず、聞き取りの方は認知活動ですから、別々の能力です。片方ができれば自動的にもう一方も出来るようになるなどということは、別に学問的に考えなくても無理に決まっています。」

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