英会話学習で量を前提としない

初期の段階に同質のものを大量にこなすことは大変重要です。しかしこれは基本の知識や、運動や、聞き取りのための学習のプロセスの初期の段階のみに適用すべきで、この目的を明確にしてやらなければなりません。また初期の段階で繰り返したり、量をこなしたりする場合でも単なる数字を追うのではなく、目的意識を持ってやるべきです。だから、いかなる方法であろうと単なる量を前提にした学習は正しい考えではありません。英語学習に分野はこのような量をひたすらに追及する方法を勧める人が多くいます。

大前研一氏は「即戦力の磨き方」の中で具体的に英語力について、CNNなどを一日中かけっぱなしにしてひたすら聞くことに専念することを勧めています。英語を理解するためには英語耳を鍛えろと言うのです。「ながら族」で意味などわからなくてかまわないから、とにかくひたすら聞き続けて、英語独特のリズムやトーンを、体と頭に染み込ませる事を勧めています。

英語の世界を提供している伊藤サム氏も努力しないで英語耳を獲得する方法として、次のような手法を勧めています。「英語学習CDやテープやMDのおすすめ活用法は、まずは「かけっぱなし」にして繰り返し聞くことです。お持ちのCDなどで一番やさしいものから「かけっぱなし」にしてください。これなら三日坊主の方にもできるでしょう。教材はなんでも結構です。CD教材は感情をこめて吹き込んであるものがベストです。

また、童心に戻れる方にはセサミストリートもお勧めです。CD教材ならリピートボタンで、カセットならオートリバースで、何百回でも聞くと、耳にネイティブが住んでいる状態になります。ながらで聞きましょう。朝起きたらスイッチをオン。電車ではヘッドホンで。帰ったらオン。皿を洗うときにオン。風呂場に向けてオン。電気店で一番安いCDラジカセを買ってきて、専用に台所に置いてください。」

野口悠紀夫氏も「超英語法」の本の中で話すよりは聞く事が大事であるからより多くの時間を聞く事に割くことを勧めています。そして野口氏も英語を録音して通勤時間に聞く事を提案しています。脳学者の川島隆太氏は2004年の文芸春秋、10月号の「脳にやさしい、英会話レッスン」の中で次のように言っています。「コミュニケーションのための英語を身につけようと思ったら、大量の英語をシャワーのように「聞く」、そして「模倣する」、自分で話すと言う事を繰り返しやるしかない」と述べています。

國弘正雄氏は「同時通訳の神様」と呼ばれたほどの存在でアポロ11号が初めて月面に着陸した時の通訳をした方です。國弘氏の言葉に「只管音読(しかんおんどく)」というのがあります。これは禅の「只管打坐(しかんたざ)」にちなんで、國弘氏が考案した言葉です。言葉の意味は「ただひたすら音読しなさい」ということです。意味がわからなくても、あるいは意味が完全にわかっていても、とにかく一つの文章を何度も何度も音読する。何十回、何百回と同じ文章を音読する。その繰り返しの中で、英語の持つリズムや語感を理屈抜きで体にしみこませていく。これが只管音読の極意です。

この説明は一見何も問題が無いように思えますが、只管英語の音読をする事に弊害を感じていない事です。言葉はどうしても母語の干渉を受けますから、ほとんどの人の第二言語は母語アクセントが残ります。英語アクセントの日本語はよく外人にあります。変なアクセントあるから理解できないことはありませんが、聞く人が聞き辛い以上に、発音している人も発音し辛いのです。では、この外国人が只管音読をしたら自然な日本語になるかと言えば、ほぼ絶望的です。

この量を前提にした英語学習は数十年まえからFENを大量に聞くとかが提案された事があります。しかし、この方法は古いから悪いのでなく、効率的な方法ではありません。何もしないよりは良いのですが、英語学習の先輩としてのアドバイスになっておりません。

言語は音楽と違いますから、流しておけば自然に聞こえた音を覚え話せるようになる事はありません。実際には分からない言語を何回注意して聞いても分からないのが言語なのです。言葉の学習において、一つの文章を何度も何度も音読して、何百回と同じ文章を音読してその繰り返しの中で、言語の持つリズムや語感を理屈抜きで体にしみこませていく事は絶対にできないのです。自分の発音は聞いて直す以外に方法はありません。録音して聞く機材も安く手に入ります。同じ時間を音読に費やすのであれば、正しい発音に矯正してからの方がより効果的です。また発音が良くなると、精神的にも充足感がありますので更なる目標が生まれ、努力ができると思います。

大前研一氏、伊藤サム氏、野口悠紀夫氏、川島隆太氏、國弘正雄氏の説明のどこが問題でしょうか。この中で最大の間違いはある一定量をこなせば英語が聞き取れたり、話せたりすると思っている事です。もしこれが事実なら、日本にいる外国人全てが、英語文化圏に住む日本人がある滞在期間の経過とともに外国語や日本語を正しく話せるでしょう。事実は臨界期を過ぎた外国人が日本に何年いても、臨界期を過ぎた日本人のほとんどが何十年もいても、日本語が上手いと言われる外国人のほとんどが正しい発音ができないのです。量を前提とした勉強方法がいかに間違いかが分かると思います。勉強をしないよりはずっとマシですが、他の方法と比べて目を見張るほど効果的ではありません。

英語のできる人、ほとんどの人はいろいろな学習方法を経験しております。そしてある程度の英語力がついた訳ですが、振り返ってみると何が一番効果的な方法であったかは判断が付かない場合が多いのです。すると自分が一番気に言った学習方法が一番効果があったような気持ちになるため、その方法をお勧めする事が多くなります。効果的な学習方法を選ぶ事は大変難しい事だと言えます。

正しい発音臨界期以前の子供でもある一定量の英語聞いてそれを真似して発音しているように考えがちですがそうではありません。現代言語は相対音感を必要とするため、大人の発音を聞いても子供は声帯の周波数の違いもありそのまま真似ることは不可能です。臨界期以前の子供も単に親の音を真似るだけでなく、自分の発音を聞いて自分で音を相対的に調整できるように長い練習をして上手になっていきます。音を聞いて相対的な関係を聞き取りと、発音を繰り返しながら覚えていきます。臨界期以前の子供でさえ英語に浸かりながら、親や先生を始めてとする多くの親切なサポーターがいる環境でも9年間もかかる長くて根気のいるプロセスであり、ある量をこなせば獲得できる能力ではないのです。

私が水泳の選手に「とにかく時間のある限り泳げ、ひたすらに泳ぐのだ。」と言った場合にたとえオリンピックの金メダルを目指していない選手でも不適切なアドバイスです。多分の今の中学生の水泳選手でも私のアドバイスが非常識であると分かるでしょう。長く練習をしろと言うのは基本的には正しいのですが、いかなる水泳の選手と言えども単なる量だけが速く、強くなるのではありません。より科学的な方法が必要となります。

しかし、私は量で解決できないからネイティブに近い能力の学習は不可能だとは思っていません。間違いに気付き、正しい考えに基づき練習すべきです。そうすればかなりのレベルでネイティブの近づく事は可能であると思っています。しかし、量を前提にすると常に量が全てを解決してくれると思い込み、少しも正しい学習方法が身に付きません。

英語の発音やリスニングがどのようなものであり、だからどう対処するかを学習するのがベストであると思います。

数十年前までな野球の投手もひたすらに玉数を投げる練習をする監督が多かったのですが、現在では玉数は少なくとも明確な目的意識を持った投球練習の方が効果的だと言う事が分かってきました。英語でも数量をこなせば良い訳でありません。

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