コピーイングの抱える大きな問題点

東大で音響工学を研究をされている峯松信明氏は幼児の言語習得をこのように説明しています。

”幼児の言語獲得を考えてみよう。言葉の獲得は「音声模倣」と呼ばれる、他個体の発声を積極的に真似ることが基本となる。ここで、幼児の音声模倣は声帯模写とは異なる点に注意して頂きたい。彼らは音響的な模倣は行わない。父親の太い「おはよう」と自らの可愛い「おはよう」とで、両者の同一性を感覚してくる。一方、動物の世界では「音声模倣」は鳥、イルカ、クジラなどで観測されているが、動物の音声模倣は基本的に音響的模倣である。音としての同一性が基本となっている。

これと異なり、幼児の音声模倣は体格の差異を越えた模倣行為である。言い換えれば、人間とは「音としては大きく異なる二つの音のストリームに対して同一の情報が存在することを感覚できるようになった種」ということになる。刺激を音声ではなくメロディーとした場合でも同様である。「人間以外の霊長類が、移調前後のメロディーの同一性を感覚できるか」を調べた研究が示すのは、彼らにとって移調前後のメロディーは「異なるモノ」でしかない、ということである。 ”
 
プロセス英語会の天満嗣雄氏はコピーイング手法を提唱しており、それをベースに教えています。

天満氏とコピーイングの正当性に関して質問したのですが、天満氏が何の返事をもらえませんでした。天満氏は彼のサイトでコピーイングをこう説明しています。

コピーイングで練習しよう
コピーイングは『お手本とそっくり同じように言えることを目指して行う音読練習』です。そっくり同じに言う訳なので、当然、発音の強化にはなります。でも、効果はそれだけではありません。“お手本とそっくり同じ”というのはそうそう簡単には辿り着かないものです。なにせ、個々の発音だけじゃなく、アクセント・イントネーション・ポーズは言うに及ばず、声の調子までも合わせようとする訳ですから。

コピーイングの本当の効果
意味を意識しながら、意味の塊やそれぞれの関係を意識しながら繰り返すということは、語彙・イディオムなどの意味や文の構造を意識して繰り返すということ。そうすることによって、練習した文の中に含まれる単語・表現・文の構造とそれぞれの音声、そして意味が自然に頭の中に入っていきいます。単語帳を睨みつけて無理やり詰め込んだ儚い記憶ではなく、目と耳から入れ何度も口から出した体験によって定着した確固たる記憶として残ります。

人間の子供は九官鳥のように飼い主そっくりには真似ません。幼児の言語模倣ははコピーイングとは大きな違いがあり、音響模倣ではありません。そのために無理な模倣となり、英語を習得するには効果的ではない学習方法とも言えます。

つまり、日本語を習う人が田中角栄の演説の真似をするようなもので、学習ではなく物真似芸の一種です。カプランの石渡誠氏も真似をしておりますが、これはオバマ氏の人気にあやかるもので、日本の小浜市がオバマ氏を応援するほどほとんど関係の無い事です。

人間の音声にはいろいろな要素が含まれており、意味を伝える言語音、感情情報、個人情報が含まれています。発音を真似すると言うのは言語音の部分であり、その上に自分の個人情報や感情を加えます。日本人でも全員が微妙に違う日本語を話します。それが理想的です。

東大の峯松氏の研究では幼児と母親の発音の特徴で、母親を特定できないといいますから、幼児でも自分の音の相対的な体系を自ら構築しております。

難しく考えるなら、言葉は真似するのではなく、自分なりの発音方法を作り上げる事であり、音声を聞いて誰が話しているかが特定できる方が良いのです。日本の英語を学ぶ人が全員がオバマ氏のような話し方ができたとすればこれは大変異様な事で、理想の英語にはなりません。

現実的にこのような事は心配する必要がないのは、人間は体の多くの部分を連動させ発音するためにどうしても、人間の個体の違い、声帯の違い、動きの違いで、バラつきがでてしまいます。

だから私が全員がオバマ氏になる心配はないのです。しかし、英語の学習方法とすればコピーイングする練習は意味のない話で、本来似るべきでない音声を似せるためには、どこかオバマ氏固有の特徴を誇張する必要があります。その特徴がが日本人の体に合っている保証はないのです。

私が心配するのは英語学習者が本来独自の魅力ある発音体系を作る努力を止め、物真似に走る事なのです。発音を良くするためには本来聞くべきは自分の発音であるのに、コピーの対象となる音声を聞く事になり、それでは本当の良い発音にもならないのです。

”目と耳から入れ何度も口から出した体験によって定着した確固たる記憶として残ります。”
これは私も実際の音声を会話練習に使っており、正しい判断だと思います。しかし、もし自分なりの発音体系でやるなら自然に身に付いた音ですから、記憶効果はもっと高まります。

物真似の悲しさは誰かを真似ると言う負い目であり、絶対にそれ以上になれません。私の教えている方は全員がいつかは私の発音を超えた発音をしたいと思っている事でしょう。

物まねでは絶対にこのような願望は生まれないのです。

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